『経済学者 日本の最貧困地域に挑む―あいりん改革 3年8カ月の全記録』 鈴木亘

NHKのTV番組「オイコノミア」の西成地区再生を紹介する回を見たのがきっかけになりました。
もともと、専門の社会保障に関する著者の本を何冊か読んでいました。それが、地域再生(しかも大阪市の日雇い労働者集積で有名なあいりん地域を含む西成地区)に関わっていたと知ったので、せっかくなら著書でもっと詳しく知ろうと本書を購入しました。

綴られる著者vs大阪市役所のやりとり・駆け引きがめっぽう面白いです。「役所の論理」「役人の思考」で動く大阪市役所、それらがどういうものかを知り抜いており地域の実情に明るい同志とともに全力で立ち向かう著者、地域の関係者が多い故に巻き起こってしまう様々な事件。それらがもうこれでもかというほど後から後から沸き起こり、それに翻弄されつつも対応していく著者。ノンフィクションの物語として手に汗握る面白さです。
面白さだけではなく、地域のなかに豊かな人的資源があり、そこに問題解決方法がある程度見えている状態なのだとしても、それらを地方行政・住民(しかもかなり多層になっている)が合意形成して実現にこぎつけるのがどれだけ大変なのか。市役所のみならず、利害関係者が多数に渡る西成地区で合意形成をしていく困難さがありありと描かれています。
逆に著者の専門の経済学・社会保障論に関するお話は、これらの具体的な物語ではあまり触れられないので、コラムとして記載されています。ただ、関係ない話として挟まれるのではありません。こういった経済学者としての視点があったから、地域再生実行への障害・問題に対応することができた面があるのだろうと思わせるものになっています。

くりかえし著者が強調していることがひとつ印象に残りました。
それは、地方の問題解決には、地方行政機関と地元住民の間の信頼が欠かせない、ということです。
簡単に見えるのですが、これが地方自治の基本にして要なのだな、と本書を読み終わった後では強く感じます。
『(大阪市が多く行ってきた)行政が先に予算を組んですべてを決め終えてから地元説明を行う「いきなり調整方式」は、今後、絶対にやめなければならない。なぜなら、地域の人々と行政の間の信頼関係が完全に壊れるからである。まちづくりというものはそういうものではなく、さまざまな人々が幅広く議論を尽くし、おたがい折り合って物ごとを決めていく、そのプロセス自体が大事なのである。』
と本書内で著者は語ります。
著者が地域再生プランの策定に当たってもっとも大切にし、苦労してきたのがその「さまざまな人々が幅広く議論を尽くし、おたがい折り合って物ごとを決めていく、そのプロセス」であったことは、巻き起こる様々な事件を通して感じられるのです。

自分たちの住む地域の行政施策が、事前に全く知らされず、意見を述べる機会もなくいきなり決められてしまう。行政(ここでは西成区含む大阪市)が行ってきたこの行動が、地域住民の行政に対するアレルギーを生み出し行政不信に至る。
これは大阪市に限らずきっと様々なところで発生しているでしょう。そして、それらを克服するには、行政側は住民を巻き込んでまちづくりを計画すること、地域住民(利害関係が絡みあい一枚岩ではない)はそれらに誠実に応じること(行政への反対運動だけでなく、議論を経て落としどころを探る)が欠かせないでしょう。
地域住民(大阪市ではありませんが)のひとりとして、自分もまちづくりに参画する、という意思・意欲を持つ大切さに気持ちを新たにさせられました。

 

また、本書は、冒頭に書かれている通り、「改革を実行する過程の大切さ」と「人口減少にあわせた社会の縮小はどう行われるべきか」について、理論と実践の両面から様々な示唆を得ることができる本です。
これですが、理論は理論のみ、実践は実践のみで書かれている本というのはそれなりに見かけますが、理論と実践の両面、というのは珍しいです。これも著者が経済学者でありながら、突然、特別顧問という立場で地区再生の旗振り役として行政の現場に飛びこむこととなった、という希有な経験を語っているからこそです。
なぜ特別顧問として現場に飛び込むことになったのはか本書に詳しく書いてありますが、当時の大阪市トップたる大阪市長が橋下徹氏であったことが大きいです。良きにせよ悪きにせよ、橋下徹氏の様な行政首長はなかなかいないことは間違いなく、そういった意味でも、西成地区の地域再生は、薄氷を踏むバランスの上に成り立ったできごとだといえるでしょう。
最後に、著者の専門である社会保障関連著書もおすすめします。新書1冊という分量かつやわらかめの文章で読みやすいのでぜひ。社会保障制度見直しって待ったなしで迫ってきますから。

 

『異文化理解力 ― 相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養』 エリン・メイヤー

とりあえず海外とやりとりする人は知っているとそうでないとではかなり差が出そう。副題には「必須の教養」とありますがまさに「これを早く知っておけば…!」と思える一冊です。

INSEADというインターナショナルビジネススクールで教授を務めた著者(アメリカ人)が編み出した、文化の違いによって生じるビジネスコミュニケーション上の困難を理解し、効果的に対処するための方法を説明しています。
理解・対処に使うのは、文化ごとに異なる分布を示す8つの指標。この指標を用いて「カルチャー・マップ」を描き、相手と自分のカルチャー・マップの8つの指標ごとの差異を認識し、個別の対処方を説明しています。8つの指標は以下の通り。

1.コミュニケーション…ローコンテクストvsハイコンテクスト
2.評価…直接的なネガティブ・フィードバックvs間接的なネガティブ・フィードバック
3.説得…原理優先vs応用優先
4.リード…平等主義vs階層主義
5.決断…合意志向vsトップダウン式
6.信頼…タスクベースvs関係ベース
7.見解の相違…対立型vs対立回避型
8.スケジューリング…直線的な時間vs柔軟な時間

本書はこの8つの指標、それぞれどんな国が直線図で見るとそれぞれどこに当てはまるかの説明をし、差異がある場合の対処方を、具体事例たっぷりに語っています。
このたっぷりの具体事例が、本書に生き生きとした印象を与えています。海外で仕事をしたことがなくても旅行ややりとりをしたことがあるなら、そうそう!とうなずきたくなる「仕事上でコミュニケーションが上手くいかなかったあるある事例」が沢山出てきて、指標だけだと分類的で味気なくなりそうなところを見事にカバーしているんですね。ちなみに日本はいろんな指標で結構極端なところにいるので面白いです。

また、注意として繰り返し触れられているのは、本書で紹介された傾向は国ごとに見られるけれどそれはあくまでレンジ(幅)があるということです。個人に対する場合は、相手をきちんと観察することが大切だと著者は何度も述べています。単に指標を提示、説明しておしまいとするのではなく、本書の提示する指標を本当に効果のあるものとするために、できるだけの言葉を尽くしているのだなと感じました。

この「なるべく明快に説明する、表現しきる」ということ自体が、指標1.コミュニケーションのローコンテクストの顕著な特徴(しかもアメリカ人はここに位置する)なのです。著者の行動自体が、本書の指標できちんと説明が可能とは、お後がよろしいですね。

 

『パパは脳研究者』池谷裕二

以前に著者の別作『単純な脳、複雑な「私」』『のうだま』などを読んで、信頼できる面白い著者さんだと思いました。その著者が自分の子育てについて書いたもの、ということで 脳研究×子育ての現場 のなにかしらわくわくするものが読めそうだと期待して本書を手に取りました。

本書は、育児雑誌に月1回連載されていたコラムをまとめなおしたものです。著者のお嬢さんが0ヶ月~4歳になるまでの様々な反応や行動を、子煩悩な父親としてかわいがるとともに、脳研究者ならではの面白い分析・解説を加えています。
毎月毎月の子どもの成長を見守っている感じがするので、お子さんをお持ちの方は「あるある!」と共感できそう。これから育児に挑むお父さんお母さんにとっては、不安を煽らない、子どもの発達に対する専門知識と落ち着きある良識を併せ持ったひとつの例として、安心して読めます。

自分で子どもを育てていくなかで、子どもに関する専門的な知識(本書では脳の発達に関する知識)があると、知識がない普通のひととはまた別の見方・発見があるんだ、ということを本書では強く感じました。
子供(わが子)の観察の際に、子どもの発達に関する知識がある著者はとても楽しそうなのです。子どもがなにかを「できる」ようになったとき、「できた」こと自体のよろこびだけではなく、その「できた」が発達過程の大きな流れのひとつとして位置づけられる。早いことも遅いこともありますが、それらのものごとを点だけではなく線の観点からも俯瞰して見ることができる。
何かを観察するとき、それに関する知識があると、知識がないよりももっと楽しい。それは子供(わが子)についてもきっと例外ではないのでしょう。

特に父親・母親はわが子(赤ちゃん)を観察する機会・時間が圧倒的に長いので、そのときに子どもに関する信頼性の高い(ここが大事です)知識があるときっと楽しいんじゃないでしょうか。そういう子育てが楽しくなる信頼性の高い知識を、子どもの年齢に合わせて手に入れられる本としても、本書はオススメです。

脳研究自体に興味がおありならぜひこちらも。安心と信頼のブルーバックスです。

2017年10月の読了本リスト

9月のリスト作成時に月ジャンルがばらばらだと言いましたが、10月の方がもっとばらばらな気がしてきました。

怖い絵 』 中野京子
応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱』 呉座勇一
ときどき旅に出るカフェ』 近藤史恵
この世の春 下』 宮部みゆき
この世の春 上』 宮部みゆき
ウォール街のランダム・ウォーカー〈原著第11版〉』 バートン・マルキール
小説 仮面ライダー鎧武 』 鋼屋ジン, 砂阿久雁
新しいメディアの教科書 』 佐々木俊尚
警視庁 生きものがかり』 福原秀一郎
うつからの脱出』 下園壮太
子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』 ジャンシー・ダン

『怖い絵』は展覧会やってるとのことで、ひとまず読んでみました。

『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』は、著者の実体験ドキュメンタリーなので、実際こういう立場にある方には大変響く本だと思われます。私はこの立場ではなかったのでちょっと当事者感覚が足りない。いや、別に当事者になりたいわけではないんですが。予防的に読むにはちょっと生々しいかもしれません。

『応仁の乱』はちょっととっつきにくいかと思ってたんですが、とても読みやすかったですね。人名の読み仮名が覚えられなくて気になりながら読んでいましたが…。

仮面ライダー鎧武は虚淵玄さんが脚本やってるのでamazonプライムビデオで見てます。(余談ですがなぜかamazonは特撮とかテレビ朝日系列のアニメの過去作が充実しています)。ノベライズは同社の別の方ですけど良かったです(同じパターンでのゲームノベライズで一度外した経験あり)。

ウォール街のランダムウォーカーは、原著初版は1973年(最新の情報を取り込んだ改訂がなされており、原著最新版の第11版は2015年出版)の資産形成の教科書だそうですよ。とりあえず14章~15章だけでも読むと金融教育として良さそう。分散投資・インデックスファンドを勧めているきわめてまっとうな本です。

 

『ときどき旅に出るカフェ』 近藤史恵

 

Kindle1日セールになっていたので買いました(現在は終了)。ビストロ・パ・マルシリーズやサクリファイス(自転車ロードレース)シリーズなどのこの著者の小説が好きなのです。

期待に違わぬ、読後感の良い短編連作集です。
「こんな店があったら行ってみたい!」な小さなお店「カフェ・ルーズ」が舞台。カフェで供されるさまざまな食べ物・飲み物がモチーフとなって、お話が紡がれます。
メニューは、苺のスープ(表紙の写真はこれでしょう)、アルムドゥドラー(オーストラリアの炭酸飲料)、ロシア風ツップフクーヘン(チョコレート入りチーズケーキ)など、沢山の耳慣れないいろいろな名前の異国の食べ物・飲み物が登場して、どれも実に美味しそう!な描写なのです。雰囲気だけでなくこのメニューを食べてみたい…と思わされます。

さらに、単に物珍しい素敵なスイーツ、キラキラした場所のお話、というだけではないところがこの小説に奥行きを与えています。
主人公は、ちょっとしたきっかけでカフェの常連客となる37歳独身でマンション購入済の女性。この主人公の立ち位置から、社会のマイノリティとして多数派、マジョリティ側から無意識にかけられる圧力があることなどが、繊細に重苦しすぎずに描かれています。
そしてカフェ・ルーズが「ときどき旅に出る」、珍しい他国の食べ物が供されるカフェである理由もきちんと示されています。
知らない食材、食材は知っていても考えもよらないような組みあわせで出来ているさまざまな料理。それらを通しての、自分が考えているよりも世界は広いことを感じとってもらえればいい、自分の周りという狭い世界のマジョリティに従って苦しい思いをしなくていいですよ、という優しいメッセージが、お話に地に足の付いた雰囲気を与えているのでしょう。

本書がお気に召した方なら、同著者のビストロ・パ・マルシリーズ『タルト・タタンの夢』『ヴァン・ショーをあなたに』『マカロンはマカロン』もおすすめです。こちらの舞台はフレンチビストロで、ゆるめのミステリ短編集です。やっぱり美味しそうな気取らないフランス料理がたくさん。