『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」 』(NHKラジオセンター「夏休み子ども科学電話相談」制作班)

NHKラジオで1984年から30年間、夏休み時期に放送されている「夏休み子ども科学電話相談」という番組があります。その番組の2016年までの放送分から抜粋・編集して本書は作られています。番組を最近知ってときどき聞いていてなかなか面白いので、本書を買ってみました。

このラジオ番組が好きな大きいお友達は必読。あとは、お子様のいる方も。
子どもの質問内容もですが、専門家の先生の回答内容、先生のキャラクターが面白いです。専門家がこどもに本気で説明する際の言い回しや苦闘ぶりなど、参考になりつつも思わずくすりと笑ってしまうような、すてきな読後感の本です。

本書を読むと「夏休み子ども科学電話相談」が聞きたくなりますね。今年はNHKのラジオアプリや番組HPで一部放送を後から聞くこともできますので、興味が出た方はどうぞ。ちなみに今年の後半放送は8/24(木)~31(木)です。

本書内の質問で印象深かったのは、「植物によい言葉をかけるとよく育って、よくない言葉をかけるとよく育たないっていうのは本当なのか」という質問です。典型的な疑似科学ですね。この質問への回答が、単に「それは違う」ではないのです。やりとりも含めてとっても楽しい回答になっています。

本書の最初には、回答者の先生一覧があり、それぞれの先生の著書名も載っていますので、本書を読んでみて気になった分野・先生の本をまた読んで見るのも良さそうですね。

『プライバシーなんていらない!? 』(ダニエル・J. ソロブ)

訳者を存じ上げているのと、内容がプライバシー論で身近に感じたので購入しました。法律の専門家による一般向けの本です。
『「やましいことがないのであれば、安全のために、あなたのプライバシーを開示するのは問題ないのでは?」。この問いを基点として、プライバシーの価値、安全との関係、憲法上の権利としてのプライバシーの性格、新しい技術との関係・対応について、豊富な具体例を通して詳細に論じる。』という公式の内容紹介文が端的に本書の性格を表しています。

原著はアメリカで出版されているので、アメリカ合衆国の憲法・法律が引用されますが、中心となる法理論はアメリカにとどまりません。

本書は約20章から成っており、1章は約10~20ページほどで、日常的によく見られる議論を取り上げそれを分析・反論するスタイルをとっています。
コンパクトにまとまっているので、こまぎれ時間での読書で、法律の知識が無くても読めます。各章になにが記載してあるかは本書16~19ページに記載されているので、私が読んでいたときは、章が終わって「今なんの話してたんだっけ?」と思う度にこのページに戻っていました。

本書では、プライバシー関連の課題を大きく4つに分けています。
1.プライバシーと安全保障をどう評価・衡量するか 
2.有事の際の超法規的措置は本当に必要か 
3.政府によるデータ収集はどう規制されるべきか 
4.新技術にどうやって法(と現実)は対応していけばいいか です。
どの課題もプライバシーに関してよく見掛ける話題で、説明されている具体的な場面も思い浮かびやすいものでした。

いろいろと蒙を啓かれる感覚を沢山得た中でも興味深かったのは、
プライバシーは個人的な権利ではなく、社会が構成員たる個人にとって圧政的でなく生活しやすくものであるために必要な価値だというという筆者の主張です。
社会を暮らしやすい場にするために、マイノリティである個人や、軋轢が起こった場に居合わせる個人を守る、というのは腑に落ちる話でした。

伊藤計劃『ハーモニー』の「生府(ヴァイガメント)」なんかのその対局にある社会を考えると分かりやすいですね。健康であること、長生きすることを最高の価値とし(不摂生、不健康であることを認めない)、法律や行政の強制力ではなく、ナノマシンによる即時の治療という技術と社会規範の内面化によって、非常に圧政的な生き方を強制される(そして社会構成員は強制されているとは全く感じていない)社会。その社会が非常に「息苦しい」ものであることは『ハーモニー』作中でもたびたび示唆されています。

安全保障と個人のプライバシーの考慮問題、政府によるデータ収集、技術とプライバシーなど、これから考えることになるであろう議論の基礎教養固めとしておすすめです。

『My Humanity』(長谷敏司)

SF短編集。「地には豊穣」「allo,toi,toi」「Hollow vision」「父たちの時間」の4つのお話が収録されています。SF好きなひと…は読んでそうなので小説の好きなひとに。特に「地には豊穣」はSF好きでないひとにこそ、人間性のありようを考える物語としておすすめできます。
本書は巻末解説にある通り「どれも非常にプライベートな人間関係のなかで、テクノロジーによって変容する人間性(ヒューマニティ)を真摯に描き切った作品」です。

 

「地には豊穣」「allo,toi,toi」は、経験知のプログラム化・インストールが技術として確立される途上にあるなかでの物語です。現実世界にかなり近く、テクノロジーが人にどんな影響を及ぼすのか、そしてテクノロジーによって人の本質が浮き彫りにされる、リアルな感覚の2編ですね。私は「地には豊穣」が好きです。人は文化を共有して社会への所属感を得、孤独を緩和しているという感覚が、鮮やかに描かれています。

「Hollow vision」のみ、かなり未来設定・アクションありのSF。宇宙エレベーターとか火星開発とかスペースコロニー問題とか、世界ごと描くSFですね。これだけ作り込んだ世界観で中編だけしかないのかな?と思ったところ、著者の他シリーズのスピンオフ作品のようです。作品世界だけで面白いですが、ヒト型インターフェース(ロボット)が普及していたり、サイボーグ化を進めた人間は、ヒトと呼べるのかということがさらりと入っていたりします。

「父たちの時間」は、これは非常にリアル路線。原子力発電所の放射性物質処理にナノロボットが使われている世界。しかしナノロボットが自然界に漏出した際の対策は確立していないなかでの使用だった。そしてナノロボットの漏出事故が発生…というお話。いやもう、ナノロボットという制御しきれていない科学技術を、社会的な要請で使いだしたらどんなことが起こりうるのかがじっくりと描かれています。そしてナノロボット研究者である主人公は、別れた妻から、子どもがナノロボットの健康被害らしき病状を見せていることを知らされて…と。社会とテクノロジー、そしてそこに絶妙な位置取りで絡んでくる人間関係・個人の人間性(ヒューマニティ)。
という4編ですがバラエティ豊かかつそれぞれに思わせるところがあってなかなかに濃い一冊でした。

著者の作品は初めて読みました。ライトノベルからハヤカワ文庫系統で色々作品があるようです。次はどれを読もうかな。
そういえばライトノベル出身というと桜庭一樹が思い出されます。本書とはジャンルが少々違うかもしれませんけど。あとはSF繋がりならやはり伊藤計劃が近そうですね。

何冊か読んでますが桜庭一樹ならこれが一番好きです

テクノロジーと人間性のお話ならやはりハーモニーの衝撃は捨てがたいです。

『誰がアパレルを殺すのか 』(杉原淳一、染原睦美)

新聞に載っていたのをきっかけに購入しました。
本書は前半で、まず今の日本のアパレル業界が危機にあることを提示した上で、戦後からの歴史を概括します。そして後半では、アメリカ・日本でおもにITを武器に出てきた新しいビジネスモデルの会社、それから日本国内でアパレル業界内から新たに出てきている会社を紹介しています。

「現状危機→今後の展望」という構成だと、危機を煽った方が書きやすいと思いますが、本書はさにあらず。おもしろいのはむしろ後半でした。日本での実例も、エアークローゼットとかストライプとかゾゾタウンといった、聞いたことがあるもの(本書に載るだろうという予測が付いたもの)のの他にも、色々と実例が載っていて、丁寧に個別会社を取材してきたことがうかがわれます。

なるほど、と思わせたのは以下の一節でした。

これまで洋服は「新品を」「売り場で」「買う」のが当たり前とされてきた。(中略)だがアパレル業界の「外」から参入した新興プレーヤーはこの前提を疑った。そして消費者が最も望むサービスを提供しようと知恵を絞った結果、洋服に対する価値観の変化を察知した。

察知した結果「新品を」→「中古品を」「売り場で」→「ネット(EC)で」、「買う」→「借りる」などの様々なビジネスモデルを打ち出している会社があるとして、本書は個別の会社を紹介しているのです。私自身は新しい業態を実際に利用してはいないのですが、なるほどこれは全体の価値観の変化が起こっている、と納得させられました。

ファッションに興味のあるひとだけではなく、服を自分で選んで買っているすべてのひとに、今アパレル業界で起こっていること、業界全体の地盤低下と同時に面白いことも発生しているということを知ってもらいたいです。あと洋服を買う側として、賢い消費者になるためにもきっと本書は役に立つと思います。ビジネス書なので、基本的に読みやすいです。

『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(J.D.ヴァンス)

新聞の書評記事を見て、トランプ政権の支持層がどんな人たちなのかがわかることを期待して購入しました。 今まで知らなかった、トランプ政権の支持層=「ヒルビリー」と呼ばれる白人労働者層が、どんな時代の影響を受け今いかなる価値観を有しているのかを知ることも出来ましたし、単に知る以上の感情を惹起されました。

本書での著者の主張は明快です。自分を含めたヒルビリーという人々がどんな人たちなのか、彼らが自分たちの問題をどう感じているかを伝えたいということです。
ヒルビリーとはどんな人たちで、どんな問題を抱えていて、その問題をどう感じているのか。それらが著者の祖母と祖父・母親・著者自身の人生をひもとき、個別のエピソードを重ねることで語られていきます。世代間でどんな価値観が有され、それが伝えられ変質していくのか、そこから階層移動するにはどんなことが必要だったのかが、出来事の積み重ねにより追体験させられます。
個別のエピソードの集大成である著者の人生は、辛いながらも救いはあります(著者は現在「普通の生活を送り普通の幸せを得てい」ます)。でも、読後にまず感じたのは、著者が幸せになってよかった、ではなくこんな世界があるんだ、というものでした。ひとことではうまく言い表せない、もやもやした現実を突きつけられた感覚です。

私自身は、両親がいる家庭で育ち、経済的な貧困状態には陥らず生きてくることが出来ました。本書内でいえば、ヒルビリーよりも、アイビーリーグの学生(「人種は様々だが、全員が両親のそろった、経済的にも何ひとつ不自由のない家庭の出身」と表現されています)に近いので、著者が語るヒルビリーの世界は遠いものであるように感じられました。

本書が他の社会研究からの知見を述べる著作と異なるのは、圧倒的な当事者性です。著者は、自分の家族や親類を愛しており、ヒルビリーという人たちを愛しています。
自分はヒルビリーだと思っている、ヒルビリーを愛している、自分がヒルビリーであることを否定しないという強烈な当事者性。しかし、多くのヒルビリーが送る生活そのままでは、ごく普通の生活と幸せを得ることは難しいことも、著者はみずからの経験から明確に認識しています。これらが、本書に説得力を与えているのだと思います。

本書では、ある種の社会階層として貧困状態に固定されつつあるヒルビリーの実態が示されています。 このヒルビリーを、他のアメリカの社会階層とふたたび融合させるにはどうすればよいのか。

著者は、回答を出すのが本書の目的ではない、と断りを入れていますが、いくつか示唆をしています。
「政府や経済政策のせいにするのは間違っている」「自分たちで問題に立ち向かわなければならない」ともヒルビリーには語りかけますし、
「経済的なはしごを上れる労働者階層は少ないうえに、たとえ上ったとしても、そこから転げ落ちてしまうケースが多いことはよく知られている。アイデンティティの大部分が、どこかに置き去りになっているという不安こそ、この問題の原因の一端のように思う。だとすれば、国民の生活水準を向上させるには、適切な公共政策だけでなく、上流階層に属する人が、以前はそこに所属していなかった新参者に対して、心を開くことが必要になるだろう」といった提言もあります。   どうするにしろ、まずはヒルビリーというコミュニティの現実を「存在するもの」として明確に認識するところからしか始まりませんし、それはまさに著者の目的である「ヒルビリーの現実を伝え」られることなのでしょう。

ところで、日本にはヒルビリーそのもののコミュニティはありませんが、ヒルビリーの世界に似た現実があります。ただ、大人が1人の世帯の相対的貧困率は54.6%と,大人が2人以上いる世帯の12.4%の4倍以上になります。(2012年。内閣府 「平成27年度版 子ども・青年白書」http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h27honpen/b1_03_03.html より)

本書で遠くのアメリカのヒルビリーに思いを馳せる一方、日本ですぐ隣に同じような世界があることも忘れてはいけないとも感じさせられました。だからこそ私も日本の現実を明確に認識するところから始め、その先どうするのかを考えていかないといけない…はずです。

『できれば服にお金と時間を使いたくないひとのための一生使える服選びの法則』(大山旬)

タイトル通りの属性をお持ちの男性におすすめです。女性についてのアドバイスもありますが、ボリュームが少ないのでそこを覚悟してお読みいただければ。

本書の著者はパーソナルスタイリスト。シンプルでベーシックなアイテムで、好感を持たれるためのファッションを推奨してます。
なぜ「シンプルでベーシック」で「好感をもたれる」ファッションが目指すところなのか、の解説から始まりますので、やはり男性には読みやすいつくりかと思います。(これが著者が男性ゆえに自然に出てきた書き方なのか、編集側のアドバイスによるものなのかは、本読みとしては気になるところですが‥)

まず服を売っている店舗の分類から始めて、店員との話し方、具体的なブランドでのおすすめアイテムと選び方、試着の際のチェックポイントなど、実際に服を買うときに必要なことがしっかり書いてあります。
購入先として 推奨されているのも、UNIQLOからセレクトショップと割合に現実的なライン。
ファッションが好きなひとなら経験的に知っているけど、そうでないひとが尻込みしやすいところをとても丁寧にアドバイスしていて好感を持ちました。

ところで、こういったファッション指南本(服・靴・鞄・小物・髪型の全部そろったもの)って女性向けが多い印象です。
しかしファッション熟練度(?)の男女平均値は、男性のほうが低いのではないでしょうか。
ファッション熟練度が低いということは、それを上げる余地は、女性よりもむしろ男性が大きい。おしゃれなひとになりたいとはいわないまでも「好感をもたれる程度にふつう」「服装で損をしない」くらいになりたい、と思う人はむしろ女性よりも男性に多いはず。
なるほど、著者のお仕事「パーソナルスタイリスト」はそのニーズに応えているのだろうし、その延長として位置づけられるのが本書なのでしょう。

本書を読んで、昔お昼のワイドショー番組で見た、スタイリストさんがお父さんを格好良く改造する企画を思い出しました。女性でも、自分のファッションはなんとかなっても、メンズファッションを選ぶのは難しいですよね。本書でシンプルベーシックなメンズファッションの基本を押さえて、服に興味のない伴侶のクローゼットをちょっとずつ充実させていく…なんていう使い方もありそうです。
あ、男性向けのファッション指南としては服を着るならこんなふうに (1) (単行本コミックス)(私は未読です)なんかもあるみたいですが、本書は30代中盤以降、というか「お父さん」向けですね。これはもう本書のモデルさんを見ていただければ明らかです。

男性向け、を強調してきましたが、ボリュームは少ないとはいえ、女性ファッションの選び方にも役に立つと思います。特に私のような、ファッション好きではあるけれどエネルギーの大半をつぎ込むほどではない、コストパフォーマンスの良いおしゃれの楽しみ方をしたいという方はご一読を。

『バッタを倒しにアフリカへ 』(前野ウルド浩太郎)

ニコニコ学会βで著者の名前を見たことがあったので、読んでみようかと思い立ちました。
読みものとして面白いので、広い層におすすめできます。また、卒業後のポスドク(ポストドクター)の研究・就職事情の空気感が生々しくわかるので、研究者・博士課程進学を目指す人やその家族含め関係者にはぜひ一度読んでいただきたい。 オススメというより推奨。

内容は、バッタの研究者として生きていきたい(生計を立てたい)著者が、研究と生活をかけて研究成果(論文)を質量共に沢山書くため単身アフリカの砂漠(モーリタニア)に向かった体験記(冒険記)。
まず最初から「子供の頃からの夢は、バッタに食べられること」といってくれます。研究対象がこれくらい好きでないと研究者は務まらないのかも…と思わせる著者のバッタ愛は全編通してひしひしと感じました。 バッタに食べられるための著者の写真はなかなかの味わい。

研究内容だけでなく、それ以外の、研究者本人の生活事情が詳しく語られているところが、本書の特徴です。
研究ものの本は、研究内容は詳しく書かれていても、研究者本人の生活に触れたものは意外と少ないという印象です。(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」なんかは貴重な例外ですが、あれも生活というよりは人格とかおもしろエピソードに分類されるかと)
おそらく、本書のような研究ものの著者は、通常は研究者としての生業が成立している人であること、そういった著者は自分の生活を赤裸々に語りたがる傾向にはないことがあるのでしょう。それを踏まえて考えると、やはり本書の研究者の生活事情=研究者の就職事情(無収入になる可能性)が赤裸々に綴られているというのは、なかなか貴重だと思います。
あとは、研究者として職を得るため、ブログを立ち上げたり、ニコニコ学会に出たり、そこから雑誌連載をしたりなど、著者がセルフブランディング活動をしているのが、2010年代ならではだと思います。

  
本書内の「ファーブルのすごさは研究を続けながら生活をしていたところ」という一節が染み入ります。著者の本書内での苦闘ぶりを読んできたあとだと、しみじみと「ほんとうにそうだよねぇ…」と共感したくなりました。
著者の就職事情だけではなく、バッタを追ってのモーリタニアの生活っぷりもなかなか破天荒で楽しいです。
本書を読んで思い出したのは、『ペンギンが教えてくれた 物理のはなし』の中にあった「研究者は現代の冒険者」という一節。本書の著者もまさに砂漠(バッタ)の冒険者ですね。

『ハーモニー』(伊藤計劃)

伊藤計劃は「虐殺器官」「メタルギアソリッド」ノベライズと読んで面白かったので、本書にも手を伸ばしました。

現在の現実社会とは異なる社会が存在するなら、ヒトはどのように振る舞うのか。それが存分に描かれたSF作品です。

医療用ナノマシンが実用化されており、そして世界規模での紛争があったという設定(作中では「大災禍」と表現されています)は、やはりフィクションです。それを示すかのように、登場人物のうち日本人の名前は変わった名前になっています。

  しかし、その結果出現した政府に代わる統治機構「生府(ヴァイガメント)」のありかた。その生府の統治する社会に対して、主人公が感じる「優しさに真綿で首を締められるような、耐えられなさ」。  

そのふたつは奇妙なまでのリアルさをもち、迫ってきました。

「生府」とは「規範を自己の内面に取り込んだ社会」であるのだと作中でもたびたび触れられています。きっと、現代日本にもその「規範の内面化」の片鱗が現に存在しているからなのではないかと、思います。

 
外側から「こうしろ」といわれるのではなく、内側から、つまり自主的に「こうしなければ」と考える。

しかし「こうしなければ」と考えること自体が、自由意志による選択や思考の結果ではなく、社会のありかた(=外側)に従った結果です。

自分の生活している現代日本社会にも、同様の「規範の内面化」が存在しているのではないかと感じています。

タイトルでもある「ハーモニー」という言葉は、作中では「社会の一員として、他の社会構成員と調和(ハーモナイズ)して生きること」を指しています。

「ハーモニー」の行き着く先とはなんなのか。ヒトが完全に社会的な存在になるとは、具体的にどのような状態を指すのか。
ぜひ直接、著者の提示した答えを、ひとつの社会の可能性を、確かめてみてください。(できるならどう思ったのかを語り合いたいくらいです)

本作内には、ヒトが機能を外注した、という表現が何度か登場しています。
現実には、ウェブサービスのEvernoteは「第二の脳」(記録を保管する場所、という意味合いです)を標榜していたりします。作中社会と現実の社会は、そう遠くはないのかも…などと思うと呆然としますね。