『ハーモニー』(伊藤計劃)

伊藤計劃は「虐殺器官」「メタルギアソリッド」ノベライズと読んで面白かったので、本書にも手を伸ばしました。

現在の現実社会とは異なる社会が存在するなら、ヒトはどのように振る舞うのか。それが存分に描かれたSF作品です。

医療用ナノマシンが実用化されており、そして世界規模での紛争があったという設定(作中では「大災禍」と表現されています)は、やはりフィクションです。それを示すかのように、登場人物のうち日本人の名前は変わった名前になっています。

  しかし、その結果出現した政府に代わる統治機構「生府(ヴァイガメント)」のありかた。その生府の統治する社会に対して、主人公が感じる「優しさに真綿で首を締められるような、耐えられなさ」。  

そのふたつは奇妙なまでのリアルさをもち、迫ってきました。

「生府」とは「規範を自己の内面に取り込んだ社会」であるのだと作中でもたびたび触れられています。きっと、現代日本にもその「規範の内面化」の片鱗が現に存在しているからなのではないかと、思います。

 
外側から「こうしろ」といわれるのではなく、内側から、つまり自主的に「こうしなければ」と考える。

しかし「こうしなければ」と考えること自体が、自由意志による選択や思考の結果ではなく、社会のありかた(=外側)に従った結果です。

自分の生活している現代日本社会にも、同様の「規範の内面化」が存在しているのではないかと感じています。

タイトルでもある「ハーモニー」という言葉は、作中では「社会の一員として、他の社会構成員と調和(ハーモナイズ)して生きること」を指しています。

「ハーモニー」の行き着く先とはなんなのか。ヒトが完全に社会的な存在になるとは、具体的にどのような状態を指すのか。
ぜひ直接、著者の提示した答えを、ひとつの社会の可能性を、確かめてみてください。(できるならどう思ったのかを語り合いたいくらいです)

本作内には、ヒトが機能を外注した、という表現が何度か登場しています。
現実には、ウェブサービスのEvernoteは「第二の脳」(記録を保管する場所、という意味合いです)を標榜していたりします。作中社会と現実の社会は、そう遠くはないのかも…などと思うと呆然としますね。