『My Humanity』(長谷敏司)

SF短編集。「地には豊穣」「allo,toi,toi」「Hollow vision」「父たちの時間」の4つのお話が収録されています。SF好きなひと…は読んでそうなので小説の好きなひとに。特に「地には豊穣」はSF好きでないひとにこそ、人間性のありようを考える物語としておすすめできます。
本書は巻末解説にある通り「どれも非常にプライベートな人間関係のなかで、テクノロジーによって変容する人間性(ヒューマニティ)を真摯に描き切った作品」です。

 

「地には豊穣」「allo,toi,toi」は、経験知のプログラム化・インストールが技術として確立される途上にあるなかでの物語です。現実世界にかなり近く、テクノロジーが人にどんな影響を及ぼすのか、そしてテクノロジーによって人の本質が浮き彫りにされる、リアルな感覚の2編ですね。私は「地には豊穣」が好きです。人は文化を共有して社会への所属感を得、孤独を緩和しているという感覚が、鮮やかに描かれています。

「Hollow vision」のみ、かなり未来設定・アクションありのSF。宇宙エレベーターとか火星開発とかスペースコロニー問題とか、世界ごと描くSFですね。これだけ作り込んだ世界観で中編だけしかないのかな?と思ったところ、著者の他シリーズのスピンオフ作品のようです。作品世界だけで面白いですが、ヒト型インターフェース(ロボット)が普及していたり、サイボーグ化を進めた人間は、ヒトと呼べるのかということがさらりと入っていたりします。

「父たちの時間」は、これは非常にリアル路線。原子力発電所の放射性物質処理にナノロボットが使われている世界。しかしナノロボットが自然界に漏出した際の対策は確立していないなかでの使用だった。そしてナノロボットの漏出事故が発生…というお話。いやもう、ナノロボットという制御しきれていない科学技術を、社会的な要請で使いだしたらどんなことが起こりうるのかがじっくりと描かれています。そしてナノロボット研究者である主人公は、別れた妻から、子どもがナノロボットの健康被害らしき病状を見せていることを知らされて…と。社会とテクノロジー、そしてそこに絶妙な位置取りで絡んでくる人間関係・個人の人間性(ヒューマニティ)。
という4編ですがバラエティ豊かかつそれぞれに思わせるところがあってなかなかに濃い一冊でした。

著者の作品は初めて読みました。ライトノベルからハヤカワ文庫系統で色々作品があるようです。次はどれを読もうかな。
そういえばライトノベル出身というと桜庭一樹が思い出されます。本書とはジャンルが少々違うかもしれませんけど。あとはSF繋がりならやはり伊藤計劃が近そうですね。

何冊か読んでますが桜庭一樹ならこれが一番好きです

テクノロジーと人間性のお話ならやはりハーモニーの衝撃は捨てがたいです。

『ハーモニー』(伊藤計劃)

伊藤計劃は「虐殺器官」「メタルギアソリッド」ノベライズと読んで面白かったので、本書にも手を伸ばしました。

現在の現実社会とは異なる社会が存在するなら、ヒトはどのように振る舞うのか。それが存分に描かれたSF作品です。

医療用ナノマシンが実用化されており、そして世界規模での紛争があったという設定(作中では「大災禍」と表現されています)は、やはりフィクションです。それを示すかのように、登場人物のうち日本人の名前は変わった名前になっています。

  しかし、その結果出現した政府に代わる統治機構「生府(ヴァイガメント)」のありかた。その生府の統治する社会に対して、主人公が感じる「優しさに真綿で首を締められるような、耐えられなさ」。  

そのふたつは奇妙なまでのリアルさをもち、迫ってきました。

「生府」とは「規範を自己の内面に取り込んだ社会」であるのだと作中でもたびたび触れられています。きっと、現代日本にもその「規範の内面化」の片鱗が現に存在しているからなのではないかと、思います。

 
外側から「こうしろ」といわれるのではなく、内側から、つまり自主的に「こうしなければ」と考える。

しかし「こうしなければ」と考えること自体が、自由意志による選択や思考の結果ではなく、社会のありかた(=外側)に従った結果です。

自分の生活している現代日本社会にも、同様の「規範の内面化」が存在しているのではないかと感じています。

タイトルでもある「ハーモニー」という言葉は、作中では「社会の一員として、他の社会構成員と調和(ハーモナイズ)して生きること」を指しています。

「ハーモニー」の行き着く先とはなんなのか。ヒトが完全に社会的な存在になるとは、具体的にどのような状態を指すのか。
ぜひ直接、著者の提示した答えを、ひとつの社会の可能性を、確かめてみてください。(できるならどう思ったのかを語り合いたいくらいです)

本作内には、ヒトが機能を外注した、という表現が何度か登場しています。
現実には、ウェブサービスのEvernoteは「第二の脳」(記録を保管する場所、という意味合いです)を標榜していたりします。作中社会と現実の社会は、そう遠くはないのかも…などと思うと呆然としますね。